浦島太郎伝説

「浦島」という地名も近所にあるくらいゆかりの地です。

浦島太郎が足を洗った井戸、父親の墓、竜宮から持ち帰った観音像。

などなど、ほんまかいな?!ってものが点在してます。

散歩がてら訪ねてみるのはどうでしょう。

遍照院

東海道五十三次の6番目の一里塚が門前にあったらしいです。

(現在は痕跡さえみつかりません)

「踏切寺」としても有名で、その名の由来は正門直前の踏切を渡らないとお寺の敷地に到達できないからとか。

その踏切を今日も京浜急行線が猛スピードで通過しています。

大口通商店街

大口駅から子安駅まで続く県下最大の商店街です。

その昔「無いものは無い」といわれ安価だったので、遠方からきた買物客の足が途絶えることの無いほど大盛況でした。

映画館、観覧車もあったらしいです。

横浜線

明治41年に開通しました。もちろんその頃は単線でした。

昭和7年に一部電車運転が開始され、昭和16年には全線が電化されました。ちなみに大口駅は昭和22年に開業しました。

竪穴式住居

4500年前の縄文時代の頃の住居が近所で発見されました。

大口台遺跡・神之木台遺跡として知られ、大きな「ムラ」があった模様です。貝塚・土器も出土しました。あなたの足元にも埋まっているかも。

神奈川

「神奈川区」という街の一番の自慢は、伝統ある歴史を持っていることです。その歴史のメインステージは、東海道五十三次にも描かれている”神奈川宿”。ペリ−来港で日本の長い鎖国が終わり、「日米和親条約」

が結ばれました。これは別名「神奈川条約」と言い、この地名を取った

ものです。その神奈川から、今の横浜に発展して行ったのです。


情報は当サイト独自調査のものであり個人的見解も含まれます。

子安浜

入江川の先はすぐ海です。子安浜があり“シャコ”“カレイ”“わたりがに”が良く採れていました。漁師町はいつも活気に満ちていました。

路面電車

国道15号線(京浜第一国道)には、路面電車が走っていて、年に数回「花電車」が通りました。花電車は、車両全体にカラーの電球が取り付けられ、夜はとても華やかで住人は皆感嘆しました。

  写真をお借りしました。 → nosuke」が往く 

   快諾いただきありがとうございました。

二国

国道1号線(京浜第二国道)は、自動車数も少なく、片側は一車線だったので自転車専用道路がありました。

入江川

入江川は“ハゼ”が採れるので、釣り人がいっぱいいました。トンボもオニヤンマ、塩からトンボ、ムギワラトンボ等、沢山の種類のトンボが

いて、男の子はトンボ取りに夢中でした。

一之宮神社

一之宮神社は、水神様が祀られていたので、夏祭りにはなぜか必ず雨になってしまいました。それでも“山車”、“御輿”、“屋台”が沢山出て、

とても賑やかでした。特に2階建の様な高さの大きな山車が、各町内から集まり立派さを競い合い、大きな御輿も沢山の若い衆がかついで練り歩きました。

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明治乳業

「入江町と言えば明治乳業。」という時代があったようです。牛乳を運搬するトラックが多すぎて、目の前の交差点の信号が新設された程だそうです。

 
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